眠れない夜は抱きしめてあげる

横山くんがかっこいいから仕方ない、諦め系オタク

ざっくり私のジャニヲタ転落の話。

簡単に私を紹介しますと、ジャニーズ事務所に貢ぎ始めて御年18年のクズ人間。今年こそヲタ卒!と意気込んで数年、いまだに足を洗えていません。むしろ現場数は増すばかり。。こんなはずじゃなかった、とジャニーズ沼の谷底で茶をしばいてる感じです。。類は友を呼ぶとはよく言ったもんで、友達もほぼヲタク。40オーバーから10代前半までのジャニタレへのヲタ活に精を出している友人を多数持っているのでちょくちょくいろんなグループのコンサートにお邪魔していますが18年前から自担は嵐の二宮和也。私は保育園児でした。9つ離れた姉がV6のヲタで、アイドルオンステージだか8時だJだかミュージックジャンプだかはわかりませんが、画面の端っこにちょこんと座っている彼を見つけたのが始まりでした。その後彼は嵐になり、私はFCに入会しコンサートに行き…私のジャニヲタ人生の「初めて」記録をたくさん持ってるのは彼です。もはやかっこいいとか好きとかそういう感情は皆無に等しいですが、やはり14歳から劣化しないお顔や嵐の当時のコンサート映像を見るとたくさんの「あの頃の記憶」を甦らせてくれるので私の人生規模においてのスペシャルキーパーソンです。

 

がしかし。

自担は二宮ですが、ほぼほぼ担当位置で活動拠点にしてるのは違う人です。

 

周知のとおり、嵐は2007年ごろを境に爆発的に人気が出ました。

その後数年はまだチケットも取れていたし複数の公演に入ることができてましたが、パッタリ取れなくなり、周りもその状況だったので会場にすら行く機会がなくなってしまったのです。現場に行けないという環境はジャニヲタにとってニートのようなもの。しかし私が自分は心底ジャニヲタだと痛感するのはそこで、恐ろしいことに新しい職を無意識に選び、無意識に就職してしまうのです。つまり私は嵐は嫌いじゃないし担降りしたつもりはないけど結果的に担降りのような状況になってしまったのです。そこで私が不思議の国のアリスのようにうさぎを追いかけて落ちた穴が、当時ぼちぼち仕事があってちょうどよく空いていた関ジャニ∞だったのです。

 

その頃、私自身は本当にニートでした。

仕事を辞めざるおえなくなり、ほっぽりだされた状況だったのです。

現実に疲れ果てた私の前にぴょんぴょんと垂れ目の泣きぼくろが特徴的な錦戸といううさぎが現れたのです。私はそのうさぎを一心不乱に追いかけます。当時錦戸くんはNEWSと関ジャニ∞を掛け持ちしていたので両方のグループのDVDを集めアルバムをレンタルして出演作品を観るためにゲオとTSUTAYAを梯子したりしてました。うちわも揃えました。ニートなのをいいことに、なのか、ニートなのに、なのか微妙なところですが先も見えない環境で確実に預金をすり減らしていたのです。あの頃の私は本当にジャニヲタでした。10数年ぶりに現れた新しい刺激にのた打ち回っていたのです。

 

そうして2ヵ月。りょおちゃんという南国パラダイスを一通り堪能した後、私は運命のいたずらによってあろうことか自担より年上の、ジャニヲタ人生で何度もすれ違っていたはずの人に落ちるのです。きっかけはあえて言いません。しいて言えば、私は疲れていたのです。彼は黄金期と呼ばれる時代、東京Jr.である二宮とよく一緒に仕事をしていました。なのでもちろん彼の存在は知っていました。一人だけ金髪で整ったハーフのような顔立ちをしているのに話すのは関西弁。そのルックスやギャップは100人を超える全ジャニーズJr.の中でもかなり異彩をはなっていました。その頃の公式写真が我が家で発掘されたので、なんなら私はちょっと好きだったのかもしれません。。その、なんで今更!という人物に私は今もなお人生まるごと狂わされているのです。彼につぎこんだ体力と時間とお金は、二宮にかけたそれをとうに越してると感じています。人生、なにが起きるか、というか、誰に落ちるかわからない。そうして今も彼によって私の青春は延長しているのです。

 

大事なところはスルーしましたが、ざっくりいうとこういうジャニヲタ人生を歩んできました。また細かなところは後々お話できたらと思っています。